2011/06/17

お父さん、ありがとう

誠に心苦しい話だが、日本国内の多くの娘たちは
父親のことが心の底から嫌いである。

ツイッター、ミクシー、自身のブログなどで、
娘へのあふれる愛をつづる友人を見ていると、
「わたし」は、涙を抑えることができない。
「近い将来、あなたは娘に嫌われることになるんだよ」
なんてことも言えないので(仮に言ったとしても信じてもらえるはずがない)、
いずれ彼らのもとに訪れるであろうⅩデーを、
せめて心安らかに迎えてくれれば・・・と祈るばかりである。


事実、「わたし」は「父親」のことが世界で一番嫌いだった。


「父親」は日本海に面した小さな漁師町に生まれた。
それゆえ、漁師になるということは、ほぼ、
・・・・いや強制的に決められた未来だった。
幼いころから海に親しみ、決められた通りに水産高校に進学。
祖父や周囲の思惑通りの人材に育つのかと思いきや・・・・

「父親」は高校卒業と同時に生まれ育った故郷を捨てた。
行き先は、高度経済成長期の恩恵を受け、欲望と活気がうずめく街、東京である。

ある意味閉鎖された空間から飛び出してきたのだ。
見るもの、聞くもの、体験することのすべてが若い「父親」には、
刺激的であったのではないかと思う。ずいぶんと多くの女性と遊んだとも聞いている。
時には堅気ではない方の女性にまで手を出し、
歌舞伎町で土下座をしたこともあるようだ。

危なげな日々を生きていた「父親」はやがて、
青森の短期大学で鬱屈した生活から一転、
あこがれだけを胸に飛び出してきた「母親」と出会い、
そして、間もなく一生をともにすることを決める。
「母親」の実家がある函館に結婚の旨を伝えに行ったときは、
真面目を絵に描いたような叔母、祖母は、「父親」のあまりの若さに、
古い言い方をすれば放蕩ぶりに卒倒したという。
パンチパーマに裾が大きく広がったパンタロン、
黄色いTシャツ、そしてにやけた口元は、なるほど「放蕩息子」にふさわしい。

しかしながら、周囲の期待を裏切り、「父親」は「わたし」の誕生とともに、
遊びとは決別し、人が変わったように仕事に打ち込み、
家庭を愛する良き「父親」になった。
20代前半で技術も学歴もない「父親」は、
自ら進んで危険地帯への出張を申し出、家族のために働いた。
「父親」が働く現場近くに、砲弾が飛んできたこともある。
ピースサインをしながらニッコリほほ笑む「父親」の背景には、
集中砲火を受け、黒煙をあげる街の姿があった。

国内でも現場にいる間は、常に危険と隣り合わせだ。
そのような緊迫した場で長時間働いているのだから、疲れていないはずはない。
しかし、「おとうさーん、たかいたかいしてー」とせがむ「わたし」を、
やおら持ち上げ、飽きるまで「たかいたかい」をしてくれるのだ。
なんという愛情だろう。

そのような愛情を受けておきながら、
父親にとって最も残酷なことを娘は実行するのだ。


それは、あまりに突然だった。あれは、反抗期のころだっただろうか。
今まで大好きだった「父親」は、得体の知れない生き物になる。
同じ空間にいるだけでイライラが止まらない。
目を合わせることも、しゃべることも、何もかもが嫌になる。

「わたし」の場合、友人たち以上にその病が深刻であった。
嫌う理由なんてどこにもないのに、とにかく嫌いで仕方がなかった。
何年もの間、「父親」との会話はもちろん、「父親」の存在自体が、
「わたし」の心から消し去られていた。


ある日、いつだったか正確には覚えていないが、それは雨の日だった。
仕事で大きな失敗をし、傷ついた心に、朝からの雨が重く降り注ぎ、
どこまでも、どこまでも深く沈んでいた。
電車の中に傘を置き忘れてしまったが、新たな傘を購入する気力もない。
雨脚が強まり、見慣れた街はどこか幻想的な様相を呈する。
それをぼんやり眺めていると、誰かが肩をたたく感触がした。
怪訝に思いながら、後ろを振り返ると、そこには仕事帰りの「父親」が立っていた。

「今、帰りか。今日は早いんだな」
何年ぶりかに聞く「父親」の声は、少し緊張していた。
「傘、もってないのか。風邪ひくから、タクシーで帰ろう」
昔の笑顔とは違う、あきらかな作り笑顔の「父親」を見たとき、
心の中で張り詰めていた何かが砕け散った。
うなずくとともに、涙がとめどなくあふれ出てきた。
それはもしかしたら「父親」と「わたし」の間に、
何年もの長い間、降り続けた雨が、涙として流れ出したのかもしれない。

その感情が何なのか今でも分からないが、
ひとしきり泣いた後で見た「父親」の顔には、
「わたし」が大好きだった笑顔が戻っていた。

あの日以来、「わたし」の「父親」に対する嫌悪感は急速に姿を潜めていった。
何年もの間、面と向かって会話をしたことがなかったので、
最初のころは、どことなくぎこちなさを感じていたことは事実だが、
それでもゆっくりと、確実に、「父親」が心の中に戻ってきたのだ。

今年も父の日が近づいてきた。
「わたし」は現在、日本国内にはいないが、
この日はとっておきの感謝のことばを届けようと思っている。
雨は完全にあがったのだ。



ここで訂正とお詫びをしなくてはならない。
「日本国内の多くの娘は、父親のことが心の底から嫌いである」に続き、
「しかし、何年かの後、多くの娘は、父親を再び愛するようになる」。
世の中の父親の皆さんは、どうか安心してほしい。
いずれ、娘と美味しいお酒を飲み、語れる日がきっと来る。

2011/06/10

6月9日

・・・・電話を切る前に・・・、15年前の今日のことを
少しだけ話してもいいかな? うん、すぐ終わるから。

・・・・その前に8日の夜のことから話したほうがいいかもしれないな。
電話で、うん、あのころは携帯電話なんて持ってなかったからね。
当時はまだポケベルだったんだよ。覚えてる?
大学の授業が終わったら、全速力で公衆電話に駆け込んでさ。
そうそう、最初に【※2※2】を押すの。めちゃくちゃ早いコ、いたよね(笑)。

あの日は子機を部屋に持ってって、ベッドに座りながら、
「彼」と話してたの。・・・うん、大切な「友だち」。
内容は忘れちゃったけど、はは、楽しく話してた。
じゃあ、明日ねって「約束」して電話を切ったの。

そしたら、その翌日。うん、9日ね。
「約束」の場所に「彼」がいつまでたっても現れなかったの。
ベル、・・・あ、ポケベルね。「彼」はポケベルなんて持ってなかったから、
その場から離れるわけにもいかなくてさあ。イライラしてたよ。
そしたら、友だちがフラフラしながら近づいてくるの。
目がうつろで、顔が蒼白で・・・ 不思議なんだけど、それでピンと来たの。
・・・「彼」ね、9日の朝にはもう亡くなってたんだって。

うーん、「私」自身、とても混乱してたから、当時の状況は正直あまり覚えていない。
でも、「彼」の最期のことば、うん、あなたがいつも電話を切るときに言うことば、
・・・そうそう、それ。それだけは今でも鮮明に覚えてるんだよね。
ははは、だぶったことはないよ(笑)。

たぶん、1年くらいは引きずってた気がする。
でも、じょじょにだけど「彼」のことが思い出になっていくんだよね。
それがつらかったんだよね、すっごく。え? うん。
なんて言うんだろう。思い出になった時点で、「彼」が過去の人になって、
この世から本当にいなくなってしまうような感じかな?
「私」が勝手に「彼」にとらわれていたんだろうなあ・・・・
さすがに今日で15年目だからね。もう、そういうことはないよ。
1年に1度、今日だけ少し「彼」のことを思い出す程度かな?


・・・・・何でこの話をしたかっていうとね。
今日、あの震災の日からずっと行方が分からなかった友人からね、
メールが届いたんだ。たった2行の短いメールだけど。
うん。すごくうれしくて。信じれらなかった。今でも信じられない。

それだけじゃなくて、友だちの子どもが無事に産まれたの。
そうそう、前に話してたコね。昨日の夜、陣痛が来て病院に行ってるから・・・
24時間くらいかかったのかな? ちょっとハラハラしてた、仕事そっちのけで。
え!? 仕事は毎日ちゃんとやってるよ~(笑)。息抜きも必要でしょ?
「私」、タバコやめたから、休憩のタイミングがなくなっちゃったんだもん。

うん。ちょっと難産だったのかもしれないけど、結果は母子ともに健康。
パパになった友だちから、赤ちゃんの写真が送られてきたの。
ちょっとブレてるんだけど、ママ似のかわいい子だった。
早く産まれてきちゃったから、ちょっと小さいのかなと思うんだけど、
それでも強さを感じる。無限の可能性にあふれてるっていうのかな。
その可能性を守ってあげなきゃね、大人の「私」たちが。


・・・単なる偶然なのかもしれないけど、偶然じゃないって思っちゃうよ。
15年前の6月9日に「彼」が突然いなくなって、
15年たった今日、約3カ月ぶりに友だちの所在が分かって、新たな命が誕生した。
こういうことってあるんだなあって思ったんだよね。

・・・・あ! 長くなっちゃったね。明日、早いんでしょ? 仕事。
はは(笑)。いつも通りに切っていいんだよ。
おやすみなさい。

またね。

2011/06/07

あの日、あのとき

「じゃあ、結婚しようか」

冷えたコーヒーをまずそうに飲み干した後、
おおよそ大切だと思われることを、
あたかも「飲みに行こうか」と誘いかけるような、
そんな日常にあふれたリズムで、非日常なリズムを奏でる。

「わたしたち」が、たとえば1年なり、2年なり、
・・・・いや、この際、期間は重要ではない。
ともかく恋人としてくちびるを重ね、体のぬくもりを感じ、そして愛を語り合う。
そんな時間をすごしていたとしよう。
さすれば、「彼」の言葉に「わたし」は歓喜したにちがいない。

ところが、「わたしたち」の出会いは、「彼」がこの言葉を発するおよそ1時間前。
西の空から吹く、なまあたたかく、湿り気を帯びた風が、
やがては気持ちを鬱々とさせるような雨をもたらしたとき、
いつもは真っすぐ会社に戻るところを、なんとはなしに寄ったありふれたカフェで、
なんとはなしに隣になった「彼」がいて、どちらともなく声をかけたことからはじまるのだ。

大衆ウケだけを狙った安い音楽が、今日はやけに耳に響く。
大人たちに洗脳という名の教育を受け、感情をそぎ落とされ、
まるで人形のような表情を浮かべ、うたうアイドル。
愛が何たるかも分かっていない子どもが「男女の愛」をテーマにしたうたを歌う。
しかも、この日、このときに。なんたる滑稽なスト―リーだろうか。

それでも、「わたし」は笑うではなく、明らかに困惑していた。
目の前の「彼」が何を考え、10歳も年下の「わたし」にそれを言ったのか。

「飲まないの? それ」
「わたし」を混乱に陥らせた「彼」の次の言葉は、あまりに日常すぎて、
つい先ほど聞いたあの言葉が、実は幻聴だったのではないかと思わせる。
「・・・ああ。うん。もう、いいかな」
氷が溶け、うすくなったコーヒーに用はない。
それよりもむしろ、この場をどう切り抜ければいいのか、そればかりを考えていた。

「じゃあ、もらうよ。こんな日にホットなんて頼むんじゃなかったよ」
ははと笑いながら、うすくなったコーヒーを飲む。
つられて「わたし」も、「はは」と笑う。
感情のないそれは、愛のうたを歌わされている彼女と同じだ。
そんな自分にゾッとしながらも、この場を抜けることができるのなら、
感情を売り渡したっていい、そんな馬鹿げたことを考えていた。

「オレ、本気なんだけど。伝わってない?」
急に真顔になり、まっすぐな目で見つめてくる。
この状況で、どうしたら「彼」の言うことを信じることができるのか。
多少いらだちながらも、一方で「私」は自分自身のことが分からないでいた。
目の前にいる「彼」の誘いが嫌ならば、すぐに断ればいい。
「結婚できません」それで終わりだ。しかし、それができない。

この気持ちに何と名をつければいいのだろうか。
突拍子もないことを言う「彼」に対する興味。
この「彼」と一緒にいたら何が起きるのだろうかという期待、そして不安。
それらの感情が混じり合った気持ち。これを何と呼ぶのだろうか。

「実は2カ月後にニューヨークに行くんだ。一緒についてきてほしい」
「彼」の言葉は、さらなる混乱を呼び、思考を停止させる。
遠方にかすんで見える高層ビルに直撃した光は、
身震いするほど美しく、心惑わせる怪しさをひめていた。