2011/05/31

「鈴木さん」のこと

見るもの、聞くものすべて覚えてしまう能力が消えたと同時に、
獣医師への道も閉ざされてしまった高校1年の春。

獣医になれないのであれば、大学に行く必要はない。
昔から短絡的な考え方しかできないわたしは、
進学をあっさりあきらめ、部活動とバイトに青春を費やすことに決めたのだ。

高校はわたしが住む地区でもナンバーワンの進学校だったため、
バイトをしている生徒は数少ない。
大学進学のため、高校2年から予備校に通う友人らを見て、
「親のすねかじりめ」と口には出さねど、心の中でひっそり思っていた。
それは、かつての天才ゆえの嫉妬なのかもしれない。
そのような醜い心にふたをするために、より一層バイトに励んだのだ。
コンビニエンスストアの早朝バイト、ファストフード、スーパーなどに勤務したが、
高校時代一番長続きしたバイトは、町の中にある小さな洋品店だった。

「洋品店」と言うと聞こえはいいかもしれないが、
Tシャツ100円、下着50円、セーター500円など、
とても利益がとれないような低価格の洋服を販売していた店だった。
週末のセールともなれば、ただでさえ安値の洋服が、
駄菓子屋の価格同様になってしまう。
開店と同時に店内に押しかけるおばちゃんたちの勢いを見たとき、
「ああ、このおばちゃんたちが日本を支えているんだ」と、
やけに納得していたものである。

わたしと一緒に働いていたバイト仲間は、
中学のころの友人2名と大学生の「鈴木さん」だった。
義務教育を終えたばかりのわたしにとって、
「鈴木さん」は、大人の女性そのものだった。

スラっとした足を組み、けだるそうにタバコを吸いながら、
まだキスもしたことがないわたしに、「鈴木さん」は男女のことを教えてくれた。
そのような話題に免疫がなかったため、「やめてくださいよー」と
顔を真っ赤にしながら、話を続けようとする「鈴木さん」を制止したものである。
「ははは。ごめんごめん。今に分かるから楽しみにしてなよ」
にっこり笑いながら、「でさあ、こないだの男は」となおも続けようとする。
「ぎゃー、もう終わりだって!」と、いよいよ怒り出すわたしを見て、
ふふふと含み笑いをしながら、話を終わらせるのだ。

当時のわたしにとって、「鈴木さん」はあこがれだった。
彼女のマネをしてタバコをドキドキしながら吸ってみたり、
真っ赤なマニキュアを爪に塗ったりもした。
「鈴木さん」と知り合いのわたしは、クラスメートよりも
はるかに大人になった気がしていた。

就職先が決まり、バイトを辞めることになった「鈴木さん」は、
最終日に「ちょっとちょっと。渡したいものがあるんだ」と声をかけてきた。
ぽかんとするわたしの手に、無理やり握らせたそれは、
いかにもいたずら好きな彼女らしさにあふれていた。



その後。
家に持ち帰るわけにもいかないので、ロッカーに入れておいたそれは、
昼食の時間帯にカバンを取る拍子に、床に落としてしまった。
でかでかとした「ハートマーク」が描かれた「コンドーム」は、
パートさん、中学時代の友人の目を瞬時に奪うことになる。

少しの静寂の後、好奇と嫉妬の嵐が吹き荒れる。


わたしは、その日、バイトをクビになった。

2011/05/30

その日は突然に

わたしと実際にあったことのある方なら、確実に、一瞬たりとも、
「こいつ頭いいな」と思うことは、まずない。皆無である。

もちろん、そのような評価を望んでいるわけではないし、
そのような人間になるべく、努力をしているわけでもない。
むしろ、「頭がいい」とは対極の位置にいることは明確なのだが、
かつて天才と言われていたわたしとしては、
いささか残念な状況ではある。


それはいつの時期か。
今からさかのぼること、約20年以上も前。大昔である。
記憶すらあいまいな大昔。されどわたしは、まぎれもなく天才だったのだ。

物ごころがついたときから、わたしは見るもの、聞くもの、
そのすべてを余すことなく記憶することができたのだ。
たとえば、テレビでドラマを見ているとしよう。
主題歌、登場人物すべてのセリフはもちろん、
物語を中断するCMのナレーション、テロップ。
すべてを一度に記憶してしまうのだ。これは大変なことである。

毎日を生きていると、さまざまな情報が洪水のように押し寄せてくる。
情報の取捨選択ができないため、幼いころの私は常に混乱していた。
その混乱がもととなり、家族以外の人の前では一切コトバを発することができない。
それゆえ、神奈川県西部に引っ越すまではひどくいじめられた記憶がある。

情報の山に埋もれたわたしは、それでも年齢を経るごとに、
無意識的に情報のふりわけをすることができるようになった。
たとえばそれは、テストのときに大いに役立った。

定期テストはもちろん、神奈川県下で行われる中学2年時のア・テスト、
そして高校受験。それらすべてのテストに向けて勉強したことは、一度もない。
授業のときに教科書を見て、教師の言うことを聞くだけで覚えてしまうのだから。
もしくは、テスト前に教科書をパラパラめくれば、すべて記憶してしまう。
テスト前にうんうんうなっているクラスメートを見て、
「どうしてこんな簡単なことも覚えられないのだろうか」と純粋に、不思議に思っていた。

テストは100点を取って当たり前。
ただ、それではクラスメートの反感を買ってしまう。
いじめられた経験のあるわたしは、それが何よりも恐ろしかった。
だから、わざと間違った答えを記入し、90点程度にとどめておいた。
この不思議な能力は、これからも続くのであろう・・・・と思っていたのだが。


高校1年の最初のテストで、能力がすべてなくなってしまったのである。


テスト用紙に書いてあることが、何のことだかサッパリ分からないのだ。
教師が授業で話したのかも、自分自身がノートに書いたことも覚えていない。
ただ、中学3年までの知識は残っているので、それを頼りに、
暑くもないのに、大汗をかいてテストを受けたのだ。

結果は惨敗。今でも覚えている。
英語は10点、数学は5点、そのほかは平均25点。
正直な話、教師が試験範囲を間違ったのだろうと確信していたのだが、
クラスメートが90点なり、80点なりを取っているところを見ると、
明らかにわたしの能力が落ちているということを認めるしかなかった。

それからは地獄である。
何しろ、16年間「勉強」をしたことがなかったのだから。
理系に進み、獣医師を将来の夢としていたが、
数学は最高でも10点、物理に至っては5点も取れない。
何が分からないのか、それすらも分からない。

夢閉ざされたとき、獣医師以外の道を考えれば良かったのだが、
当時のわたしが選んだのは、獣医の看護師になれるという専門学校への進学だった。
これが波乱万丈の人生の始まりだったのだ。


その専門学校は、入学から半年後、閉校になっている。